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ゴルフの歴史編ゴルフ四方山話編レコード編

ゴルフの歴史編

ゴルフトリビア1
1ラウンドのホール数は当初18ホールではなかった。

1ラウンド=18ホール…これ、現代ゴルファーなら誰もが知っていること。でも、ゴルフ発祥の頃は必ずしも1ラウンド=18ホールではありませんでした。その証拠に、ゴルフの聖地セントアンドリュース・オールドコースには当初22ホールが存在し、1ラウンド=22ホールが基準とされていたのです。 当時は合計打数を競うストロークプレーではなく、マッチプレーが主流だったこともあって、他のコースでも特にホール数が厳格に定められてはいませんでした。 では、なぜ1ラウンド=18ホールになったかというと、18世紀半ば頃、セントアンドリュースは市から土地の一部を返還するように求められ、そこで4ホール分の土地を返還。全18ホールとしたところ、ラウンド時間的にも18ホールのほうが丁度いいのでは? ということになったとか。 それ以後、セントアンドリュースをお手本に18ホールのコースが増えていったことが現在の基本になっているのです。

 

ゴルフトリビア2
オーガスタ・ナショナルGCには、19番ホールが造られる予定だった。

アマチュアにして史上初のグランドスラムを達成した球聖ボビー・ジョーンズ。その彼がイギリスの名設計家、アリスター・マッケンジーと共に故郷のジョージア州に造りあげたコース、それが「マスターズ」の舞台としても知られるオーガスタ・ナショナルGCです。そのオーガスタには当初19番ホールが造られる予定でした。初期の設計図面には、距離90ヤードのパー3=19番目のホールがしっかりと描かれていたそうです。これは18ホールでは飽き足らない人のエキストラホールとして、また競技でのプレーオフのために考えられたもの。アンジュレーションの複雑さで知られるオーガスタのグリーンですが、この幻の19番だけはバーディー率を高めるためにフラットな設計になっていました。ところが、アウト・イン各9ホールが描くループの邪魔になるという理由で断念。その図面は陽の目を見ることなく消えていったのでした。 もし、この19番ホールが本当に存在したら「マスターズ」のこれまでの歴史はまったく異なるものになっていたことでしょう。

 

ゴルフトリビア3
日本のゴルフ場は、ある一時期だけメートル表示されていたことがある。

「200ヤードぐらい飛んだかな」「このホールはレギュラーで413ヤード」などなど、誰もが当たり前のように口にしているゴルフ場のヤード表示。でも、ある一時期だけ日本のコースがメートル表示に統一されていた時期があるんです。1975年、通産省計量課からJGAに対し「メートル法採用100年目にあたり、計量法による表示を徹底したい」との申し入れがあったことが発端。この内容というのが、ルールブックをはじめ、ゴルフに関する計量表示をメートル法に統一し、ヤードやポンドといった国際的表示との併記を止めるべきというものだったのです。そしてJGAはその指導に基づき、1976年4月1日から加盟クラブにメートル法単記表示の実施を勧奨。これがメートル表示の始まりでした。ところが、それから8年後の1984年、再び通産省計量課から「商取引以外の一般の表示は併記可」の回答があったため、翌年の1月1日より再び併記を実施。1986年9月に開催された日本オープンからヤード制が復活し、1987年からはすべてのJGA主催競技がヤード表示に戻されました。それにしても、さぞかしこの8年間は多くのゴルファーが混乱したことでしょうね。それ以上に、グリーンに乗った瞬間からフィートではなくメートルになってしまう日本のゴルフも摩訶不思議ですけど……。

ゴルフトリビア4
キャディという名称の名付け親は、スコットランドの女王様だった。

キャディという呼称の語源はフランス語のカデ(=年下の者、あるいは貴族の子供という意味)にあります。そしてその由来となると、話は16世紀にまで遡り、とある女王様がその名付け親であるという史実が伝えられてきました。 その女王様とは、スコットランド王・ジェームス5世の第3女として生まれた王女・メアリー。様々な事情から、彼女はなんと生後8ヵ月で女王に即位しましたが、あまりの幼さに血縁であるフランスの国王アンリ2世のもとで育てられることに。そしてその後、フランス国王の王子・フランシスと結婚するものの、わずか3年で死別。スコットランドに帰国することになった彼女は、その際にフランスの宮廷から何人かのお気に入りのカデを連れて帰ったとのこと。その後、メアリー女王がゴルフを始めた際に、そのお手伝いをしたのがカデたち。メアリー女王がプレー中に「カデ、○番を持ってきて!!」と言った(かどうかは?)ことがキャディという呼称の始まりだと言われています。

 

ゴルフトリビア5
日本で最初のゴルフ雑誌は関東発ではなく、関西発だった。

日本で最初のゴルフ雑誌はいつ、どこで創刊されたのでしょう? それはなんと1922年(大正11年)のこと。
神戸在住、伊藤長蔵という人物が発行した「阪神ゴルフ」が日本最初のゴルフ月刊誌として発刊されました。
残念ながらこの阪神ゴルフは第4号を発刊した9月で廃刊となってしまいますが、同年11月には「ゴルフドム」と改題して再創刊。
さらに1943年3月に「日本打球」と再改題され、1944年2月にその幕を閉じました。
この「阪神ゴルフ」は、いまも兵庫県広野ゴルフ倶楽部内にある「JGAゴルフミュージアム」に保存・展示されているとのこと。 ちなみに世界最古のゴルフ誌は、1890年(明治22年)にロンドンで創刊された「GOLF」でした。


 

ゴルフトリビア6
バードン・グリップを発明したのは、ハリーバードンではなかった!?

ゴルフグリップの基本のひとつとして多くのゴルファーが実践しているオーバーラッピング・グリップ。このグリップは別名・バードングリップとも呼ばれ、20世紀初頭に活躍したイギリスの名手、ハリー・バードンが考案したと言われています。それまでは野球のバットを持つように、左右10本の指で均等に握るグリップが主流。それを、左手人差し指の上に右手小指を乗せる変則グリップにすることで、スムーズかつ速くクラブを振れる、というのがバードン・グリップの魅力でした。彼自身はこのグリップで自身のフック癖も矯正したと言われています。ちなみに、バードンはこのグリップをすでに少年期に編み出していたという説も。子供の頃、バラの枝で作った手製のクラブで仲間とゴルフモドキの遊びを楽しんでいたバードン少年は、枝に付いたトゲを避けるように握ろうとして、自然にオーバーラッピング・グリップにしていたそうな。それがバードン・グリップの始まりとも言われています。ところが、実際にオーバーラッピング・グリップを考案したのはジョニー・レイドレイというゴルファーという説もあり……。ただ、その画期的なグリップを全世界に知らしめ、近代ゴルフスイングの基礎を作ったという貢献度から、誰もがハリー・バードンこそが真の考案者である、と認めているのです。

ゴルフトリビア7
1ラウンドで使えるクラブは14本。でも本当は13本に決まるところだった!! 

ゴルフルールでは、1ラウンドで使えるクラブ本数の上限はパターを含めて14本までと決められています。 でも、本当は13本に決まりかけていたという逸話をご存知?もともとクラブの本数を制限するルールが生まれたのは、スコットランドのキャディが組織する労働組合からのクレームが発端。 クラブ本数に規制がなかった頃、何十本というクラブでラウンドするゴルファーも多く、なかにはリヤカーの上にクラブを詰め込んだ樽を乗せ、それをキャディに引かせるゴルファーまでいたそうな。 そこで、それを運ばされるキャディたちが「これじゃぁ身がもたん!!」ということになり、改善の申し出がR&Aに届けられました。その結果、1ラウンドに必要にして十分なクラブ本数は13本である…という答えが導き出されたのです。そしてその決議がR&Aで採択されようとしたその瞬間、ひとりの理事がこう言いました。 「ゲン担ぎをすることの多い我々ゴルファーにとって、13という数字はあまりにも不吉ではないか。 この際、1本増やして14本にしてはどうか?」。冗談のようにも思えますが、この発言に全員が納得したそうです。 そうしてクラブ本数の上限は14本になったのでした。

 
 

ゴルフトリビア8
人類初、月面でのショットに使われたのは6番アイアンだった。

ゴルフは人類が地球以外の星で最初に行なったスポーツ。もちろん、本格的なプレーではありませんが、1971年、アポロ14号に乗って月へ向かった宇宙飛行士、アラン・シェパードによって人類初の月面ショットは実現されました。 彼は月面に降り立った後、この時のために作った特製のクラブで、予め用意していた2つの耐熱ボールを月面からショット。そのときに使用されたアイアンの番手は6番アイアンでした。 そうして放たれたボールは決して月面に再び落ちることなく飛び続け、彼は歓喜のあまり「飛んでいる、何マイルも、何マイルも!!」と叫んだとか。 ちなみに、この月面でのショットを提案したのは、アラン・シェパードと彼のコーチ、ジャック・ハーデンというプロゴルファーだったそうです。

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